日本企業のイスラエル進出第一号は、日健総本社だ。
抗酸化物質微細藻類ドナリエラ・バーダウィルの商品化で、イスラエル国立ワイツマン基礎科学研究所と提携したのが縁だった。
昭和62年、イスラエルにある食品会社クールフーズとの間で、資本技術提携の話が持ち上がった。
「微細藻類の応用企業なら、うちにとってはよきパートナーだ。健康づくりには国境がない。イスラエルの話をどんどん進めてくれ。」
当時、イスラエルは危険な国だという印象を、日本企業が持っていた。
田中社長の決断は早かった。平成元年1月には、エイラット市にイスラエルとの合弁事業であるドナリエラ・バーダウィル培養工場のネイチャー・ベータ・テクノロジー(N.B.T.)社を設立した。
アミー・ベンアモツ教授の指導の下、10万平方mの敷地に、長さ150kmの培養プール15基を設けたドナリエラ・バーダウィル培養工場がつくられた。
培養プールに海水を張り、太陽光が底まで平均に行き渡るようになっているのが特徴だ。
ドナリエラ・バーダウィルは、灼熱の太陽エネルギーから身を守るため、体内にベータカロチンをつくり続ける。体内にいっぱいベータカロチンを蓄えたドナリエラ・バーダウィルを海水から分離、ペースト状にされ、さらにベータカロチンを壊さないように乾燥粉末にし、日健総本社に送り、商品化するシステム。
翌年1月N.B.T.社は、日健総本社の全額出資の子会社となった。
工場オープンの日、田中社長は「この工場は、日イ親善のかけ橋だ。工場はイスラエルの人たちで運営してください。うちは原料だけ買わせてもらえればそれでいい。」とあいさつ。
イスラエル国民は、田中社長の経営思想に感動した。
ドナリエラ・バーダウィル培養の特許は、ワイツマン基礎科学研究所が持ち、日健総本社が世界中の販売権を譲り受けた。
湾岸戦争で、イスラエルがミサイル攻撃の危機にさらされる中でも操業を続けた。
日健総本社は、ドナリエラ・バーダウィル培養工場を保有。原料生産、研究開発、製造、普及活動と一貫したシステムを持つ、世界でも類のない微細藻類専門メーカーとなった。