「私は社長ではなく、組織人である。」これが田中美穂社長の信条だ。
「私が社長と思ったときが、会社が行き詰まったときだ。」田中社長はこう自分に言い聞かせ、組織づくりや普及活動の第一線に出て汗を流す。
昭和55年のことだった。クロスタニンの組織づくりに走り回っていた田中社長は、松山全日空ホテルで、故・小松重夫氏(当時の全国クロスタニン経営協議会会長)と、初めて出会った。
「オーライ」「バックオーライ」ホテルの地下駐車場で、車を誘導する声がする。声の主は、まぎれもなく田中社長だった。
小松氏が運転する車の後ろに立って、充満する排気ガスの中、一生懸命車を駐車場へ誘導する姿があった。
「初対面で、しかも挨拶を交わしただけの社長さんなのに…」小松氏はジーンと胸に来た。
「この社長さんと、一生仕事をさせていただこう。」クロスタニンの説明を一言も聞かないうちに、そう心に決めていた。
それ以来、小松氏は田中社長の「微細藻類百年構想」「健康社会の建設」の実現を共有して、健康づくりに奉仕している。
この田中社長の「普及は人」「人は組織」の経営姿勢は、長年、死にもの狂いで仕えた「永松学校」で学んだものだ。
「社長といって、あぐらをかいたり、少し儲かったといって格好ばかりつけていたら、その時点でもう会社は終わりだ」いつも田中社長は、組織の人たちにハッパをかけた。
バブルの崩壊、金融ビッグバン、長引く不況のあおりを受け、多くの会社が倒産した中、日健総本社は「躍動」を続けている。
その原動力は、普及員が「販売」よりも「健康思想」と「健康情報」の提供に心掛けて「健康の普及」に力を入れていることだ。
「私は組織人である」この「田中イズム」が、クロスタニン同志の中に、脈々と息づき「微細藻類百年構想」「健康社会の建設」の実現に向かって、強固な組織が築かれている。
「私は社長を引退しても、歩けるうちは組織の一員として働きます。」田中社長の生涯「組織人」を全うするという気迫は、クロスタニングループの同志たちを奮い立たせている。