1年間ぐらい実家で静養し、元気を取り戻した美穂青年は、じっとしておれず、汽車で名古屋駅へ行った。
駅員をしている同窓生を呼び出し「東京か大阪へ働きにいき、そのうち何か事業を興そうと考えているが。」と相談した。同窓生は「第一どちらに行くんだ」こう聞き返した。この時、美穂青年は、東京か、大阪かと迷っていた。
駅前のバラック建の一角にある易者のところへ行き「東へ行ったらよいか、西の方に行ったらよいか。」と占ってもらった。易者は「東へ行きなさい。長寿の相がある。何かの事故がない限り、80歳は生きられる。」といった。
東京行きの夜行列車に乗った。中年の小太りで、実業家タイプの人の前に座った。握りしめた両手のこぶしを膝の上に置き、前をじーっと見据え、押し黙ったままだった。 「明日からどうやって食べていくか。」「東京にも仕事があるだろうか。」頭の中は、考え事でいっぱいだった。
当時、東京まで14時間もかかった。前に座っていた人は「この青年、何か深い事情があるようだ。」と言葉をかけるのをためらっていた。
朝方になった。列車が熱海をさしかかった頃、前に座っていた人が「どこへ行かれますか」と声をかけた。
この人は、ヤクルトの事業に参画していた永松昇氏だった。「これから東京に乳酸菌を扱う会社をつくろうと思っている。乳酸菌は子供の飲み物みたいだが、人間のからだのためになる。乳酸菌だから、必ず世に受け入れられる時がくる。もっとすばらしいものができると思う。」永松氏は初対面の美穂青年に、熱っぽく話した。
これが永松氏との運命的な出会いだった。
美穂青年は、何かの事業で身を立てたいと考えていただけに、永松氏の話に感動した。
この時、美穂青年は「この人に命をかけてみよう。」「クロレラに命をかけてみよう。」と決心した。