ヤクルト時代からタネ蒔きしたクロスタニン事業は、アッという間に軌道に乗った。幼児から高齢者をターゲットにした健康食品「クロスタニン」はヒット商品となった。
事務所兼作業所は、作業量がグーンと増え、手狭になってきた。「早く新しい社屋を建て、移らなくては…」
田中社長は、永松構想の実現に投資を惜しまなかった。
会社のすぐ近くの土地を買収。昭和56年1月、鉄骨三階建て事務所兼倉庫延べ約1,900平方mの建物を、半分ずつ2年間で建てる工事に着工。
初年度の半分が完成すると、すぐに新社屋に移り、本格的に作業がはじまった。
社員たちは、作業所の壁隣で、増築工事のツチ音が響き、着実に会社が大きくなっていくのを肌で感じ取っていた。
クロスタニン錠形のビン詰めに、時間がかかっていた。
「これを何とかせんと。」
そこで田中社長は、ビン詰め作業の能率アップをはかった。また購入した機器に欠陥が見つかると、社員たちと知恵を出し合い「田中式機器」に改良し、徹底的に合理化をはかった。
商品開発には、人一倍熱心。著名な医学、薬学、農学、微細藻類学者の門をたたいて指導を受け、独自の研究に取り組んだ。
そして「クロスタニン」に続いて新商品を次々と開発した。
クロスタニンは、フランス、イギリス、ドイツ、韓国など13カ国の製造法特許を取得した「国際ブランド品」になった。
また、海外の販売ネットワークも韓国、台湾、中国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、オーストラリア、カナダ、アメリカの12カ国にでき、世界進出の素地も固まった。
「今度は10年以内に、7階建てのビルを岐阜羽島駅前にデンと建て、世界にクロスタニンを進出させる」
田中社長は、作業を手伝いながら、よく社員に永松構想実現の夢を語った。