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    2. 少年時代の生い立ち(2)

     当時やっと一升ビンが出回り始めた。徳利の醤油を売るのは大変だったが、美穂少年に同情して買ってくれた。
      そのうち父親が病気で倒れ、家計のやりくりは病弱の母親の肩にズッシリと重くのしかかってきた。

      徳利の醤油を売った稼ぎだけでは、生活が苦しく、家計の足しに、わずかばかりの田畑を借りた。
      大人の見よう見真似で、夕方暗くなるまで田畑を耕し、稲、野菜を作った。
      新学期になると、隣近所の子が使った教科書を安くわけてもらって使った。
      美穂少年が高等科1年1学期の時、父親は半身不随になり、母親も寝たきりになった。
      家族の9人が食べていくためには、一定の収入が欲しかった。
      ある日、先生に「学校を辞めます」と申し出た。先生は「お前は頭がいいし、 高等科2年まで行った方がいい。高等科を卒業すれば、いい就職口もある」こう何度も諭したが、美穂少年は一日も早く働きに出たかった。高等科を中退したが、働き口が見つからず焦った。

      夏のある日、恵那製紙会社に出かけ、受付の女子事務員に「私を雇ってください。どんな仕事でもします」と必死に頼み込んだ。唐突な出来事に、女子従業員はうろたえていた。そこへ運よく、重役が通りかかり「何事だ」。
      女子事務員から事情を聞いた重役は、美穂少年に「事情はよくわかりました。 明日から出社しなさい。」と臨時工として採用してくれた。
      一銭でも多く稼ぎたいと、人よりも一時間も早く出社、他人の職場もきれいに掃除し、すぐ仕事ができるように気を遣った。とにかく、人の2〜3倍も働いた。

      ある夜、田中家に親戚全員が集まった。病床に伏している母親の前で「30円という金を、身内全員で出してやる。幼い弟や妹たちを引き取ってやるから学校にもどれ。」という。
      美穂少年は、ここで親戚から金の援助を受けたら、弟や妹たちはバラバラに なってしまう。一人前になったとき、肩身の狭い思いをするだろうと考え「お金の援助はいらない。」とキッパリ断った。
      親戚の人たちは「もう知らん。もう面倒は見てやらん。」と怒って帰った。
      母親の顔には、とめどなく涙が光っていた。一家の生計は、美穂少年が全部 背負うことになった。

     

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