「クロスタニン」商品を見届けた永松氏は、昭和50年8月18日、安らかに永眠した。65歳だった。
田中氏は、この悲報を富山で知った。神奈川に飛んで帰った。
棺に取りつき「永松先生、田中です」
悲しみが込み上げ、声にならなかった。涙がとめどなく頬を伝った。
この世にもう永松先生はいない。永松構想は、自分が継承し、実現しなければならないと決意した。
「永松先生の遺志を継ぎ、世界中から集めた微細藻類から抽出液を取り出し、食品、化粧品などに活かし、微細藻類分野の専門企業として、豊富な商品の開発に取組み、永松百年構想を実現させます。」霊前で心に固く誓った。
葬式が終わった8月20日のことだった。
永松氏の奥様から一足の靴が手渡された。
「自分に万が一のことがあったら、これを田中君に渡して欲しい。」永松氏は亡くなる三日前に、奥様に<踵がすり減った古びた一足の靴>を持ってこさせた。
「田中さんに渡す時に、何と言って渡したらいいです?」
「何も言わんでいい。田中なら必ず解る。この靴を渡せば田中なら私の意志を必ず解ってくれるはず。」
靴を受取った田中氏は、永松氏の意志を汲み取り、化粧箱の蓋に
「歩きまわり 走りまわり 七転び八起きして 誠意をもって 組織の充実に 努力せよ」
こう赤マジックで書いた。
夜行列車の車中で永松氏と出会って以来、25年間仕えた代償が、踵の減った古びた一足の形見の靴だった。
永松構想継承者の田中氏にとって「恩師の靴」は、「人生の転換」「事業哲学」という、かけがえのない大きな財産である。
葬儀から一週間後、クロスタニン商品を入れる化粧箱が完成した。さっそく永松家を訪れ、霊前にクロスタニン商品を供えた。
「今日まで、いろいろ勉強させてもらい、有難うございました。人生わずか50年と言いますが、自分は50歳です。あと20年は生きられると思います。永松先生の生前の夢だった、微細藻類百年構想の実現の為、やり抜く覚悟です。」
二時間ぐらい頭を下げ、いよいよクロスタニンを世に売り出すことを報告した。
翌日から、クロスタニン事業の準備にかかった。